H.コリンズ,T.ピンチ著 村上陽一郎,平川秀幸訳(2001)「迷路のなかのテクノロジー」
- 作者: ハリーコリンズ,トレヴァーピンチ,Harry Collins,Trevor Pinch,村上陽一郎,平川秀幸
- 出版社/メーカー: 化学同人
- 発売日: 2001/05
- メディア: 単行本
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図書館で「なぜ科学を語ってすれ違うのか」*1を読んだ。といっても以前借りたときに読み終わることができないまま返却したので、一部の章しか読んでいない。この本は科学社会学の入門書で、いずれは通読しなければならないだろう。時間をつくらねばならぬ。
さて今回は「なぜ~」の「科学の民主化」という章だけを読んだ。章題がズバリ、ワタシの関心事であるからだ。そのなかにコリンズとピンチの「迷路のなかのテクノロジー」が紹介されていた。
ワタシにとってコリンズはまずEvans&Collinsの「第3の波」論文の著者のイメージなのだが、夏休みに科学社会学の系譜をすこしばかりなぞってみて、科学社会学のなかの人なのだと再認識をしていたところであった。
この章のなかではコリンズらの立場は、
非専門家(市民)は科学的知識そのものについては知る必要はなく、むしろ科学的知識を科学的たらしめているその仕組みや構造についての知識をもつべきである
みたいなものとして紹介されていた。まあ市民が科学的知識を全く持たない状況は少々極端に過ぎるにしても、後半の主張はワタシも同意である。ワタシも公教育でもっと"営みとしての科学"について教えるべきであろうと思っている。
この要約が正しいのなら、主張の根拠と妥当性を知るためにも、コリンズらの本を一度読んでおきたいと思った。ちなみに原著は"The golem at large : what you should know about technology"というらしい。
実は有名なCollins&Evans(2002)*2のなかで、コリンズらはRavetzのPNSを批判しているのである。その批判のなかでコリンズは「PNSスキームなど持ち出さなくても私たちのゴーレムサイエンスがおんなじこと言っている」(意訳)みたいなことを言っていたと思う(実はよく理解していない)。しかしコリンズのいうゴーレムとはなんなのかいまいちわからない。この本を読んでそのあたりの背景をつかめればよいと思う。
*1:J.R.ブラウン(2010)「なぜ科学を語ってすれ違うのか―ソーカル事件を超えて」,みすず書房
*2:Collins & Evans (2002) "The Third Wave of Science Studies: Studies of Expertise and Experience",Social Studies of Science,32/2,pp235-296 URL http://cstpr.colorado.edu/students/envs_5720/collins_evans%202002.pdf