aida ha nani de dekiteiru ?

〈いかにしてワタシはこの本に出会ったか〉についての記録

科学的知識の別の理解の仕方について

ちょっと理解をまとめてみる

 

社会的意思決定の場(たとえば政策決定)において、エビデンスの基礎となるものは科学的知識であることが多いが、ここにおいて科学的知識とは、"事実"であることが保証された知識、ではなく、「合意された」過程により"品質"がある程度保証された知識である、という認識の転回が必要だ →

 

(承前)あるいはこのような認識が妥当であるかどうかについての議論がもっとなされるべきだ。ただしこれは、複数の科学的知識を社会的意思決定の場でどう重み付けするかについての議論であり、科学的知識としての妥当性、理論的頑強性についての議論はその主要部分を占めるが全てではないだろう

 

科学的知識の品質について敷衍すると、例えば理論的頑強性は中心的であるがその全てではなく(むしろしばしば論争的である。それ故に)、不確実性の明示(必ずしも定量化できないものを含めた可視化) →

 

(承前) 議論過程の透明・公開性、情報の系統的チェック体制、利害関係の開示など、これらを含めた「品質」を改めて定義すべきであろう。この品質管理過程は専門家以外の利害関係者をも含めた同意に基づくべきだが、関与者の範囲の策定基準は当然自明でない

 

なによりここでは、「科学」の示すものが拡張されうる。訓練された専門家のコミュニティ内部での知識の生産・品質管理という従来の通常科学的営為から、専門家以外の多元的な観点を取り入れた知識の生産と品質管理へと。

 

(承前)ただし、専門家と非専門家の役割の配置設計には議論が必要。高度に専門的な議論に参加し、技術的な寄与を為すには訓練が必要な場合が多く、このフェイズでは非専門家の役割は相対的に小さいだろう。しかし →

 

(承前)専門家による潜在的な価値判断の特定や、社会への技術的な応用についての議論の場では、非専門家の果たす役割は大きいと思われる。

 

何れにせよ重要なことは、この新しい「科学」観は、全ての領域で適用されるものではないということだ。つまり、従来の科学のスタイルが完全に取って代わられることはむしろ望ましくなく、 →

 

(承前)科学研究が取り組む問題の性質によって、また科学研究が求められる役割によって、適切な科学の在り方が変化しうるということ

 

もっとも、現代の科学研究の立ち位置は大きく変わりつつある。事実が不確かで、多様な価値観が絡み合い、利害関係は幅広く、しかし即時的な決断が求められる、このような問題群に対して、科学をどう「活かす」かについて有効な戦略が必要だということ

 

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科学的知識の品質の話は、ボク自身もっと考えを練りたいところなのですが、一応アウトラインだけ提示しておいた。まあ穏当なところだと思うけど。

もっと野心的な試みとしては、PNSダイアグラムの具体的な線引きの問題とかprofessional consultancy 概念の分析とか、いろいろ考えたいことはあるんだけど。

最近特に気になることは「事実が不確実」という状態の構造で、実はこれがけっこう曖昧なんじゃないかという気がしている。

このへんがぐらついていると、気候科学における、確立した知識と論争中の知識の区別がつかずに、「科学」の品質管理の問題がぼやけてしまうと思う。