aida ha nani de dekiteiru ?

〈いかにしてワタシはこの本に出会ったか〉についての記録

泳いだ

最近、市民プールに泳ぎに行った。

中学、高校と部活は水泳部で、スポーツは水泳くらいしかできなかったので、大学に入るまでスポーツといえば水泳だった。水泳もかなり日常的なものだった。

部活を引退して高校を卒業して大学に入って、泳ぐことはめったになくなってしまった。運動不足が気にはなるものの、プールに足が向かなかった。

少し前に、水泳部時代の夢を見た。なんだか無性に懐かしくなって、ひさびさに引き出しから水着とゴーグルを取り出した。

市民プールは近所とは言えない場所にあって、自転車で片道30分、バスで20分ほどかかる。しかし距離以上にプールに行くこと自体が非日常的な感じで、子どものころに海水浴に行ったときみたいで、少し新鮮だった。

高校時代、ボクの通っていた高校にはプールがなかったので、近くの高校の水泳部といっしょに練習していた。そういえば、高校からそこのプールまで自転車で15分かかった。屋外プールだったので冬場は練習できず、県営の室内プールに行って練習していた。そこは遠くて、自宅からは自転車で40分ほどかかった。高校時代の自分がプールに行くまでの間にどんなことを考えていたのか、もう覚えていない。

2年ほど泳いでいなかったので、筋力はかなり落ちた。体力もない。それでもなんとか泳げた。2時間の制限があったが、時間いっぱい泳ぐことにした。昔の勘とかはよくわからなかった。

世の競泳選手が泳いでいるときに何を考えているのかとても気になるが、高校時代の自分は多分何も考えていなかったと思う。いまなら、たとえば腕の筋力を鍛えようとか、バランスを考えた練習をしようとか、いろいろ理屈っぽく考えると思うのだが、当時の自分は泳ぐことについて全く頭を使っていなかったような気がする。そういえば、どうして自分のタイムが伸びないのかを、ちゃんと考えた記憶がない。ただひたすら泳いでいたといえば聞こえはいいか。

思うに、高校時代、頭と身体は別々だった。毎日大学受験のために勉強しないといけなかったし、ボクのちっぽけな頭では部活でまで頭を使うというような発想すらなかったのだと思う。自分では結構真剣に部活をしていたような気がするのだが、実際はそうではなかっただけなのかもしれない。しかし今となっては、余裕もなくただ泳いでいた自分がうらやましくもある。

大学に入ってからは、勤めて高校時代のことを思い出さないようにしてきた気もする。水の感覚とか、ばてたときの腕の重さとか、泳いだ後の塩素の臭いとか、そういうかつて身近だったものを、ひさしぶりに思い出した。